2008/05/27

何をしに学校へ行くのか

まぁ、よく言われているらしいことなのですが、学校での勉強は社会に出てから役に立たない、という話があります。
微積分とか、社会に出てから何の役に立つのか、と。
実際、学校で学んだ事を全く使わずに生きていく、そんな人間がごまんといる世の中です。

が、役に立たないのではなく、役立てていないだけです。

情報を「知っている」だけでは何の役にも立ちません。
情報は使ってこそ知識となるのです。

まぁ、実際、僕も学校で勉強した覚えはあまりありませんが、学んだことは多々あります。
別に勉強は一人でも全く問題なく出来るわけで、学校でやる必要はあまりないわけです。
結局「学ぶ」のは自分なので。

ですが、学校が嫌いだったわけではありませんし、僕にも学校に行く理由がちゃんとありました。
僕にとって、学校は集団生活をする場であり、一人では出来ないことをやる場所でした。

実はこの考えは小学校の頃にはほぼ確立されてしまったのですが・・・。
家では勉強をし、学校でみんなと遊ぶ、という小学校生活。
僕が一番勉強をしたのは実はこの頃です。
あとはその貯金を取り崩しながら大学院までのらりくらりと。楽でしたね。
どちらかというと高校では既に集団生活も大体学んだからいいや、というか、「寝る場所」になって、大学は完全なモラトリアムでしたが。

そんなこんなで。
勉強というのは今後の可能性を増やしてくれる道具です。
今後やることが決まっているのであれば、別に高等教育など受ける必要はありません。
学校の勉強などではなく、ただやる必要のあることだけを学んでいけば問題ないでしょう。

が、特段やることが決まっていないのであれば、将来の選択肢を増やせる場所、というのが学校です。
自分以外の人がいて、自分とは異なる考えがあり、自分の知らないことがある場所。
その中で自分に合うもの、自分のやりたい物を見つける可能性を増やせる場所。

学校はつまらない、学校なんか行っても仕方がない。
それは、学校を楽しもうともせず、役立てようともしなければ、そうでしょう。
何でも与えてもらえる時期はそんなに長くありません。

「未来への可能性は果てしなく、だがまだ始まってもいない」
学校とは、そんな、「始める前の人」が集まる場所だと思うわけです。


・・・はて
何でこんな話になったンだっけ・・・

多分最近の「親」というものへの不満があったとは思うのですが。

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