2016/03/06

危険予知

最近・・でもないですが、KYってのが多くありませんか?

ちなみに僕はKYという言葉が嫌いです。

KYの名のもとにオンリーワンを排除するネット社会は、ある意味とても日本的だと思いますが・・・。
だれでも自由に意見を言える、15年前のインターネットにはわくわくしたものですが、最近はそれ以前に戻ってしまったような気がして仕方がありません。
自由に意見を言うのと他人に意見を押し付けることを勘違いしている人も多すぎますが、受け手側も打たれ弱い(ある意味事なかれ主義的な)対応が多いです。

問題があるようなので変えます。
炎上したから閉鎖します。
それが悪いというわけではないのですが、それを織り込み済みでものを言っているのではないの?と突っ込みたくなることが多々。

いや、ゲームの仕様で、どうもポリシーがあって作品を作っているわけではなく、とりあえず市場の反応を見てから「みんなの心地よいもの」を作っていこうという作品が多すぎる気がするんです。
そもそも、「こんなゲームが作りたい」ではなく、「みんなのやりたいゲームが作りたい」ってコンセプトだとそうなるんでしょうが。

オンリーワンなどと言われる、他人にできないことをやるのであれば、それは自分しかわからないこと。
他人にどうのこうの言われても変える必要も変わる必要もありません。
自らの判断で動いてほしいものです。

最近の作品のキーワードである「覚醒」というのが、自分では何も考えない、努力しないことを象徴していてさみしい限りですが、「売れる」作品ではなく、「作りたい」作品を世に送り出してくる人、企業が増えることを祈ってます。(結局は他人任せです)

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