2006/06/16

ないものがあるとすればそれはあるものなんだから、ないものなんてないんだよ。

僕は、この世界は僕を中心に回っていると信じて疑いません。
なぜならば、僕が認知できる世界は、「僕が」認知している世界だけだからです。

そんなわけで、僕には僕が知らない世界のことは全く関係有りません。それに関する知識がない世界のことならまだしも、知らない世界の事はどうやっても知らないんです。

同様に、他の人がどのように思っているかも関係有りません。
他の人がどのように思っているかを推測することはできても、知ることはできないからです。なんで、「この人はこう思っているに違いないと推測した事柄」というのが、僕の世界にとってのその人の思っていることであり、本当はその人がどう思っているかなんて知ったことではありません。

物語には大抵、書き手と読み手がいる物ですが、書き手がどう思って書こうと、読み手が読み取った物語こそが読み手にとってのその物語なんです。
読み手に多くのことを感じ取ってもらえるのは良い物語だと思いますが、書き手と全く同じ事を感じ取ってもらおうとするならばそれは法律とかの文面とかになってしまうと思いますし、心から文章へと書き落としている時点で変換ロスが発生するのは仕方のないことです。

僕が小説を好きなのは文章から自分の心へと読み取るときに変換ロス+外乱があり、それを楽しめるからです。不完全だから、文章は自分の好きなように解釈できるんです。
まぁ、予言書とかのようにどうとでも読み取れる、という例は良くありますし、文章は読み手の数だけ意味があるわけです。自分にとってこの文章はどのような意味を持つか、というのは決めれますが、他人にとって、というのは決めることはできません。

まぁ、多分世界も同じように世界の有り様を解釈しようとした時点で変換ロスが生じるんです。変換ロスがあるから自分の好きなように解釈できるんです。
きっと世界は不完全だから美しいんですよ(笑)

・・・何を書いているか分からなくなってきたあたりで、この辺でやめておきましょうか。

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